いつも切ないところにある記憶や経験は、なかなか像を結ばない。
それは死の重さを感じさせながら、流れていく知覚をとおして、形あるものとそうではないものとの間(あわい)に明滅している。
 私が描いていくことは、間(あわい)に向かって明滅するモノをイメージとしてすくい取ることだが、画面に置くと、どこかに沈んで、偶然や予感とでも言うような曖昧なものにもどる。
 定位しようがないそれらは画面の中でも曖昧なままだが、確実に空間やみる人に共振するように広がる。

 制作の開始は、不定形の色彩を画面全体に充填せず、キャンバス外の空間と呼吸するように置いていくことからはじまる。私と画面、作品と置かれた空間、作品とみる人とのやりとりのための余白を残す。
 そして絵具の乾燥と重色を繰り返し現れた色面は、白色で覆われて遠くにいったり、深い色彩で近くに重く沈んだりして描く時間の進行に合わせて呼吸する。さらにその包み込む画面へ、線を細くぬうように、うたうように描く。それは色面に動きや方向を暗示する。
 またデジタル画像から抽出した硬い線は、もとの形象を少しだけに匂わせたりするが、ほとんどが分解されたかけらとしてある。この全く違うところからやってきた線/かけらは色面に少し寄り添い、あるいは大きく反発することで画面の中に響きが広がる。

2020

scoop up the scenery

 Memories and experiences, which are always in a sad place, do not form an image.
With a sense of the weight of death, they flicker between tangible and intangible things through flowing perception.
 To paint is to scoop up the flickering things that flicker between, but when you put them on the screen, they sink somewhere and return to something vague, like a coincidence or a premonition.
 They remain ambiguous even within the picture, but they certainly expand as if they were resonating with the space and the viewer.

 The beginning of my work is to place them as if they were breathing with the space outside the canvas, without filling the entire picture with unstructured colors. I leave a blank space for the interaction between me and the painting, between the work and the space where it is placed, and between the work and the viewer.
 The color surface, which has been repeatedly dried and heavily colored, breathes in time with the progress of the painting, either distantly covered in white or heavily submerged nearby in deep colors. Furthermore, he draws thin, thin lines as if to wipe out or sing into the enveloping picture. This implies movement and direction on the color surface.
 Also, the hard lines extracted from the digital image give a hint of the original shape, but mostly as fragments of the decomposed image. These lines/shards, coming from completely different places, nestle a little closer to the color surface, or are greatly repelled by it, which spreads the echo in the picture.

2020.7.3



2020.3.20 いまおもうこと

“Blue dance” 273(h)×410(w)mm(P6)  acrylic paint,marker pen(pigment) (2016)

 四年前の作品。2016年”月の庭”galerie16 での発表作品のうち早い段階で制作した小品。

 ずっとアトリエに掛けているが、最近になって当時は自覚していなかった違う位相が見えてきた。いま絵画を制作する上で視覚情報を更新していくことは、作品を展開していくことに直結する。例えば”ウルトラマリンブルー”を”ホワイト”の層を入り込むように透過しながら重色していくことで物質的な顔料の時間の蓄積がすすむ。
 最上面の色彩についての判断だけではなく、あったであろうもの、消えたもの、について、時間が均等に流れるのではなく、時間の後先が曖昧になり、反転する。

 
「墨は白と黒の濃淡専門の絶好なる筆描画材であるから、書道の発達に伴い、絵画においても墨描きの線描が発達したのであったが、また色彩と分かれて明暗濃淡の調子専門の水墨画をも生じ、これら、墨による線描・濃淡両用の技法が種々併用されて、東洋絵画の基本形をなすに到るのであった。」
(矢代幸雄「日本美術の特質」第二編 第六章 美術の材料および技術 p.158)
 
「或いはまた宗達・光琳が最も得意としたたっぷりとした筆致と墨色の濃淡、まして「たらしこみ」によりて墨と水との滲みを巧みに利用してむらむらを複雑に催させた技法のごときは、漆黒色に天鵞絨(ビロード)のごとき反射や触覚を与えて、最も濃艶なる感覚的表現をなさしめた。」
(同上 第四編 第三章日本美術の色彩 p.158)
 

絵画の手段のひとつとして、日本の水墨画における墨線の持つ時間と装飾的色彩の二層と捉える近代的解釈を含んでいるが、それを超えて線と色面との多層を分離するのではなく織り込むことで深い画面の”時間”を考える。訓練された所作だけではなく、low fidelityな所作への近づきとその距離。

2020.3.20  What I Think of Now

 A work from four years ago, a small piece created at an early stage of the work presented at “Moon Garden” galerie16 in 2016.
It has been hanging in my studio for a long time, but recently I have come to see a different phase of my work that I wasn’t aware of at the time. Updating the visual information in the process of creating a painting is directly related to the development of the work. For example, the accumulation of material pigments over time is accelerated when “Ultramarine Blue” is superimposed on “White” as it penetrates the layers of “White”.
 Time does not flow evenly, not only in terms of the color of the topmost surface, but also in terms of what might have been and what has disappeared, but the destination of time becomes ambiguous and inverted. As a means of painting, he considers the deep “time” of the picture by weaving together the multiple layers of line and color, rather than separating them, as a means of painting, which includes the modern interpretation of the two layers of time and decorative colors in Japanese ink painting. The approach to and distance from low fidelity as well as trained movements.




2019年 失われた音のために

 視覚はあくまで刹那で、時間とともにその記憶が崩れていくことが前提にある。
 その不完全さを引き受けた絵画の過程において、完全である画面にも、どこかにノイズを持っていて、描きすすめることは、それらを調整することや既視のイリュージョンに沿わせることではなく、歪みの震えを感じながら、違う振動を展開させることだと考えている。

For the lost sound

It is assumed that vision is only momentary, and that its memory collapses with time.
 In the process of painting, which has taken on this imperfection, even a perfect picture has some noise, and I believe that to proceed is not to adjust them or to make them conform to the illusion of déjà vu, but to develop a different vibration while feeling the tremors of distortion.


2018年 眺望をつむぐ

 描くことは、出現してくるイメージを確定せずに逃れる時間である。
 イメージを解体し更新するために、色面の「刈り込み」あるいは「拡散・膨張」を重ね、図と地を織り込む。
そうして出現する空間へ線を走らせ、意識が追いつく前に楔を打ち眺望をつむいでいく。

2016年 月の庭

 不定形の抽象絵画と、それを色面分解した絵画を展示。
 少しの意思と偶然による不定形色面を線描でトレースしフォルムを描き起こす。不定形色面と縁取られた色面、遅延した質の異なる視覚の痕跡としての抽象絵画。その抽象絵画画像を色面分解しハードエッジに位相したもうひとつの抽象絵画。

2014年 逃げる風景

『意識とは身体の実存的環世界を、肉体が空間的物語的に解釈したものである。』 

   ジェスパー・ホフマイヤー *「生命記号論 宇宙の意味と表象」/ジェスパー・ホフマイヤー (松野孝一郎+高原美規 訳 青土社)

 風景は、身体の外側にある全てものである。
 身体に溶けつつ何かを送り続けるが、摩耗せず圧倒的な存在感を示しつづけている。  それは手の届くところに接していて浸透し続けているが、予測しない瞬間に切なさや憧憬を強く感じさせるのはなぜだろう。
 人の知覚は、感覚器官の反応を峻別し認識しているのではない。あるときは統合され俯瞰するように感じ、あるときは分離され分析するように無意識に境なく身体中を行き来している。
 一方、表現のモチベーションである感情は、それら知覚のやりとりを契機に、経験や知識を参照し解釈しながら不規則に染み出てくる。そんな表現の萌芽は記憶の中で多様な部分と繋がりを持った物語として蓄積されている。
 表現の主題はその物語であり、作品を発表することは解釈した物語を世界に提示することである。
 世界経験のひとつの方法を示すと同時に他者と共有することで、普遍的な経験をたぐり寄せることができると考えている。けれども、物語を示し続けても、依然尽きない風景は永々と続いている。
 2014.11.3      2014.11.14 一部改稿